バルカンスティック!(岸田森)

オタク終活「太陽戦隊サンバルカン」。全50話と劇場版。20年ぶりくらい。きっぱり岸田森賀川雪絵の番組。そして相変わらず二代目イーグルとシャークの区別がつきにくい番組。ヒーローが文句なしにカッコいい、そして竹本監督とウエショーが降板するこのサンバルカンをもって戦隊シリーズは完全に終わってる印象だったのが、40年経った現在も続けている鉄面皮にはむしろ感心する。そんな以後のどうでもいいシリーズをしばらく牽引する曽田脚本はサンバルカンでもペッタンモンガーやカニモンガーなどいくつか印象にも残るが、ゴキブリモンガーは同じプロットのゴキブリコンビナートと比べるべくもない。ちなみにいちばんカッコいい名乗りはシビレモンガー戦なのはマメ知識。

キャサリン

オタク終活「科学救助隊テクノボイジャー」。全18話と未放映6話のうちCSでやった3本。15年ぶりくらい。1982年当時、サントラにEPも買って、田舎の広島でもチャンネル探して観たくらい(佳作「還ってきたスペースシップ」だった)好きだったアニメで、いま観ても全然まったく遜色ないが、恐怖の土曜夜7時半の番組にてあっという間に終わってしまって、期待したポピニカにプラモもすべて発売中止になったこといまだに残念に思っている。番組はあまり漫画に馴染みのない吉岡一夫と中原朗が中核をなす脚本陣で、いずれも二重三重のトラブルが仕掛けられたハナシは前半戦のが好みだけど、ヤマトまんまの小泉メイン作画は後半のがずいぶん観やすくなるのがちょっと残念。あと石森史郎が珍しくいい仕事をしてて、なかんずく傑作は氏も参加した鳴り物入りの「天翔けるエアポート」ではないかと思う。とまれこの番組を回顧するとき必ず石上先生の名文「本当に優れた作品ははじめ、多くの理解者を持たない云々」を思い出すが、いまや40年が経っても現状は如何なものか。ちなみに自分が悪夢の80年代のアニメで許せるのはこれとダグラムとガルビオンくらいだと思っている。

 

しかし未放映の3本はテクノボイジャー的にいずれ劣らずコートームケー過ぎていささかついていけなかった。

宇宙細菌MM88

小松左京復活の日」。いまさら読んでみたけど面白くて即日で読んでしまった。通勤電車の異常から始まる首都圏の浸食は白眉だと思う。そんで軽薄短小な80年代では無理もないけど、角川映画は原作のインテリジェンスをまったく映像化できてないのに驚いた。と言うかこの「復活の日」も「日本沈没」も「さよならジュピター」も、ついでに「首都消失」も、小松作品の映像化は怪獣ものだったテレビシリーズ「日本沈没」以外ほんまろくなもんがない。許せるのは「空中都市008」くらいではないか。観れないけど。

衝撃波Q

オタク終活「バトルフィーバーJ」。全52話。矢島特撮の至宝「ロボット大空中戦」は年一くらいで観てるけど全話観るのはいつ以来か思い出せない。「ザ・カゲスター」に始まる東映のアメコミシリーズ第三弾で、試行錯誤が上手く着地した「スパイダーマン」と同じヒーローと子供の友情路線を選択するのはまあ当然として、しかしスパイダーマン最大の弱点だった主人公が所詮は“スパイダーマン”であること解消したカッコいいバトルマンらと、怪獣番組で馴染みのなかったナウでオシャレなキャスティング(当時はコサックがミドレンジャーと気がつかなかった)に上がりっぱなしだった期待値が、イレギュラーのロボット建造編が終わって本筋に入った途端の火の玉怪人をピークに下がる一方なのはいかがなものか。ウエショー&高久のそれに遠く及ばない曽田&江連の脚本のカタルシスの弱さ(とは言えスラップスティックな曽田脚本はフィーバーに似合ってるけど)もアレだったけど、いちばんの問題は子供との友情を紡ぐヒーローが毎回変わって印象が散漫になることで、フィーバーも所詮は戦隊もの、と言う残念な事実が浮き彫りになってしまう。さらにアメリカとコサックの交代劇(いまさら伴大介…)が入って新奇なキャスティングが台無しになったうえ、スケジュールの都合で二代目アメリカとケニアのハナシばっかりになるのもどないやねんと。

 

しかし劣悪なスタジオの環境逆手にとって、ビッグベーザーのエアコンがやたら故障する演出はとてもリアル&バトルフィーバーっぽくて上手かった。いつもスーツをビシッと着込んだ千代之介の苦労も偲ばれる。

生きておらんで良いッ!

老境に臨んで現役離れて久しい作家なり漫画家なりの訃報を聞いても大概ああそうですかそら残念でしたなで終わるところ、流石に平田弘史先生のご逝去には哀悼の思い禁じえない。ハナシも凄いがなによりオール漫画家でも絵がいちばん凄かった、そして親も兄弟もない身には厳父と慈父の憧憬もあった平田先生のご冥福、衷心よりお祈りいたします。

80年代最大のスカ

気がついたら12月も中旬だったような。

 

川端康成「掌の小説」550ページに122編の短編を収録。ほとんど思い付きで書いて即ボツにしたみたいのばっかりで、川端康成は好みの作家だけどほとんど頭に残らず。長けりゃいいってもんじゃないが、短くてもいいと言うもんじゃない。大岡昇平「俘虜記」あまりに淡々と進み過ぎて段々気が滅入ってくる。もっとも大岡昇平はどれも劣らず気が滅入るけど。オルテガ・イ・ガゼット「大衆の反逆」付和雷同路傍の石は黙っとれと言う結論。ギッシング「ヘンリ・ライクロフトの手記」ヘンリ・ライクロフトのノンフィクションの手記と言いながら書いてるのはギッシングのフィクションてどないやねん。実に長閑でまあまあ面白かった。セネカ「生の短さについて」紀元前に書いて現在に通底する真理は見事である反面、ローマ哲学の裏面を知るとなんか急に有り難くなくなった。「フィッツジェラルド短編集」数年ぶりに再読。全編余さず見事で実にうっとりする。まさにアメリカ文学の至宝。マイケル・クライトンアンドロメダ病原体」数十年ぶりに再読。ベストオブエスエフ映画の「アンドロメダ…」のが好きだけど、原作も同じくパーフェクトな傑作だと思う。開高健「知的な痴的な教養講座」「私の釣魚大全」「珠玉」「人とこの世界」。氏の筆致に触れることがいまや人生の最大の楽しみの一つになった。「オーパ!」が流行ってた中学時代は「釣り好きのおっさん」くらいの印象しかなかった開高氏にこれほど私淑するとは夢にも思わなかった。常に未読を何冊かストックしてあるけど、いつか読むものがなくなったときのこと考えると恐ろしい。

 

あとほか何か読んだけど忘れた。

 

アニマックスのマクロス。当時いっぺんも観たことなくて、この40年まったく観たいとも思わなかったけど、もし自分がこれに関わってたら間違いなく恥ずかしさで首を括ってるみたいなアニメだった。つか観てるこちらが恥ずかしいアニメってどないやねんと。

 

ゾンビランドサガ効果で佐賀の温泉に行ってみようかと色々下調べしてたけど、先だっての選挙の結果があれだったんで誰が行くかボケ。

 

 

 

 

俺の素晴らしいハナシがワカランのは読んでるお前のアタマが悪いのが悪い

伊藤整「変容」老年と人生の真理を描く。寡聞にてチャタレイ夫人の翻訳で問題なったことしか知らなかった作家。初めて著作を手にしたけど面白かった。この歳になってみるとことさらに。ホフマン「黄金の壺」主人公アンゼルムスのついてないっぷりが漫画みたいなドイツの童話。半端でない魔女の悪役っぷりに終始イライラする。開高健「開口閉口」エッセイ集。筆致にユーモアはもとより視点が素晴らしい。就中ヒトラーについての一編が最高。山口瞳「冬の公園」こちらも週刊誌連載のエッセイ集。山口派には悪いけど先の開高健に比べると格段に落ちるのはなぜか。佐藤真登「処刑少女の生きる道」タイトルからガンスリンガー・ガールみたいな内容かと思って手にした私がウルトラにバカでした。辻邦生サラマンカの手帖から」表題作はじめ、活写される西欧諸国に奇妙なノスタルジアを覚える短編集。所収の「洪水の終わり」のラストは衝撃的。同「夏の砦」翻って日本文学らしい陰鬱な内容。あとがきによれば男流作家の描く女性的感性の極致のひとつらしいけど自分にはよくワカランかった。斎藤孝「孤独のチカラ」もらいもの。自分には特に目新しいことはなかった。一條次郎「レプリカたちの夜」この俺の素晴らしいハナシがワカランのは読んでるお前のアタマが悪いのが悪いみたいな、もうええっちゅーねんみたいな。山川方夫「夏の葬列」どこかエスエフっぽい短篇集でいずれも面白かったけど、やはり表題作が圧倒的で思わず三回も読み返してしまった。チャック・パラニュークファイト・クラブ」読後に観比べてみたけど映画のがひゃくまんばい面白い。きっぱり。

 

ついでに漫画、いまさらだけど荒木飛呂彦岸辺露伴ルーブルへ行く」。妖怪百物語で攻めるらしい岸辺露伴シリーズの内容は兎も角、絵はスティール・ボール・ランの終盤の頃の、荒木史上いちばん美しい筆致でとても見応えがある。ちなみに自分もルーブルに行ったことがあるけど、定休日で入れなかったのは心から呆れた。こんな世界的な施設、フツー年中無休ではないのか?アホなのかフランス人?